描くプロの世界

サイエンスイラストレーターとは

サイエンスイラストを描くのは科学者だけではありません。 プロの科学専門イラストレーター、すなわちサイエンスイラストレーターも、16世紀以降、科学者と協力しながらサイエンスイラストを描いてきました。

サイエンスイラストレーターは、ただ科学者の指示とおりに描くだけの画家ではありません。力のあるサイエンスイラストレーターは、科学的な内容を理解したうえでどう表現すれば良いのか自ら考え、科学者の図案をよりよい図案にブラッシュアップしてくれます。時には科学者に「そういう考え方もあるか」というような気づきを与えたり、科学者の誤りを指摘することもあります。

ここではサイエンスイラストレーターという職業がどういうものかを紹介したうえで、プロになることに関心を持った方に向けてどうしたらそのスキルを身に着けることができるのかなどについて、紹介したいと思います。

職業としてのサイエンスイラストレーター

サイエンスイラストレーターや医学系のメディカルイラストレーターという職業は、欧米を中心に専門職として確立されています。

Association of Medical Illustrators (以下、AMI)によると、多くはフリーランスで活動しています。ほかには広告、新聞社、出版社、 ソフトウェア関連企業、動画産業、デザインサービス、コンピューターシステムデザイン、 法医学の会社、科学センター、大学などで働いています。

サイエンスイラストレーターにイラストを発注するクライアントには、研究者(個人)や研究組織(大学や研究所)、学協会、製薬企業などのサイエンス・メディカル系のメーカーやサイエンスの情報を扱う企業、広告代理店、出版社、メディア関係、デザイン会社などがあります。依頼内容は1枚の図から数百枚の図まで、さらには動画、アニメーションなど多様にあります。

日本は、欧米と比べるとプロのサイエンスイラストレーターに対する認知度が低い傾向にあります。それでもフリーランスを中心に(副業なども含め)サイエンスイラストレーターとして活躍する人々がいます。サイエンスイラストの制作会社や、企業や研究組織で雇用されているサイエンスイラストレーターも、多くはありませんがいます。ただ、人数や就業形態などの全体像はわかっていません。

サイエンスイラストレーターに求められる力

サイエンスイラストレーターに求められるような力はどのようなものなのでしょうか。管理人は主に以下のようなスキルや力が必要だと考えています。

科学の知識・理解力

サイエンスイラストを描くには、科学や医学の背景知識や理解力、リサーチ力、論文などの資料の読解力といった、科学的な知識・スキルが必要です。描く内容を深く理解していなければ、誤った表現をしてしまったり、よりわかりやすい構図やレイアウトが提案できなかったりするためです。

特に科学的なリサーチ力や理解力は、科学的に正確なイラストを提案するのに必須です。サイエンスイラスト制作では、自分がもともと持っている知識だけでは依頼されたイラストを描くのには不十分であることが多々あります。自分で調べたり、提供された専門的な資料を読んだりして、理解しながら制作を進める必要があります。

また、科学者にヒアリングしながら制作を進めることも多いです。専門用語をどんどん使って専門的な話をする科学者の話についていきながら、知りたい情報を引き出したり、互いの信頼を構築したりできるよう、コミュニケーションスキルも重要です。

アートのスキルは独学でもある程度は身に着けやすいですが、科学的なスキルや知識は難易度が高いため、サイエンスイラストレーターは科学や医学の学部や修士といったバックグラウンドをもっていることが多い印象です(もちろん芸術系の出身者の方もいます)。

制作のスキル

サイエンスイラストはビジュアル表現ですので、それを描きだすスキルが必要です。デッサンなどの描画の力のほか、制作スタイルに合わせて様々な作画技術が必要です。例えばアナログならば水彩やアクリル絵の具、色鉛筆、デジタルならばAdobe IllustratorやPhotoshop、 Maya、Blender、Adobe After Effectsなどのアプリケーションの操作スキルも必要です(どれが必要かは人によります)。

また、近年はグラフィカルアブストラクトや概念図など、文字の配置も含めて作画する必要のある制作も多いです。このため、フォントやレイアウトなどのグラフィック・デザインの基本知識が必要になることもあります。

仕事管理に関する力

サイエンスイラストレーターは仕事としてイラストを描いています。仕事を獲得していくための営業力や発信力が必要です。また、請求書や契約書などの書類を作るための知識や、自分の権利を守るための著作権や契約の知識なども必要となります。

年末や年度末などは依頼が集中しやすく、納期が重複することも多いです。納期までに確実に納品するための仕事の管理能力も必要です。

サイエンスイラストのスキルを身に着けるには

では、どうしたらそのようなスキルを身に着けることができるのでしょうか。

欧米の養成講座

サイエンスイラストレーターやメディカルイラストレーターは、高度な専門性が要求されることから、 欧米では大学や大学院で養成講座が開かれています。

例えばジョンズホプキンス大学(Johns Hopkins University School of Medicine, Department of Art as Applied to Medicine)の大学院に医学系のメディカルイラストレーター養成講座が、トロント大学(University of Toronto Biomedical Communications)に生命科学系のサイエンスイラストレーターの修士課程の講座があります。

私はこの2箇所を(短期の訪問で)見学したことがありますが、教員数が多く、理系とアート、ビジネス(契約関連)の学びまで充実したカリキュラムがありました。ジョンズホプキンスが伝統的なメディカルイラストレーションの基礎を学べるのに対して、トロント大学は3DCGなど新しい手法を取り入れている印象です。

そのほかにもアメリカやヨーロッパで学部やプログラムがあります。例えば次のサイトなどを参考にすると良いと思います(10 Scientific Illustration Courses and Programs Worldwide)。なお、欧米以外にも教育機関があるようですが、私はあまり知りません。

日本の教育機会

日本では2011年に川崎医療福祉大学医療福祉環境デザイン学科にメディカルイラストレーター養成課程ができました。それ以外では、大学や専門学校のコースで学べる場所はないのではないかと思います。

直接サイエンスイラストの訓練ではありませんが、細密な観察力・描画力を鍛えるために美学校の「細密画教場」を受講したサイエンスイラストレーターは国内でも何名もいらっしゃいます。また、サイエンスイラストの養成講座ではありませんが、北海道大学 科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)では、 科学技術コミュニケーション活動を担う人材養成のなかで、デザインや図解制作の講義を行っています。

そのほか、プログラムやコースではないかたちで、大学教員としてサイエンスイラストを指導できる方はいます。古生物復元画や美術解剖学に基づく動物画を描く小田隆 教授(京都精華大学マンガ学部)や、 日本サイエンスビジュアリゼーション研究会(JSSV)代表で科学のビジュアル・デザインが専門の田中佐代子 教授(筑波大学芸術系)などです。

ただ、日本ではサイエンスイラストやメディカルイラストについて体系的に学べる機会は限られています。体系的な訓練を受けたいならば海外に留学するという選択肢も考える必要があると思います。

教育プログラム以外の学びの方法

では、プログラムやコース以外で学ぶ方法はあるでしょうか。

日本では90年代くらいまでは、図鑑や科学的な内容を扱う書籍の作成の際に、科学者が知識が不足しているイラストレーターに科学的な見方や知識を教えていくというスタイルのスキルアップの方法がありました。ただ、出版状況や科学者の研究スタイルなどが変化し、2000年代くらいからはそのような方法で学ぶのは難しいのではないかと思います。出版社や制作会社などにサイエンス/メディカルイラストレーターとして就職できた場合には社内で訓練を積むことも可能ですが、そのようなポストは多くありません。

結果として、国内で必要なスキルを身に着ける場合は、科学(ないしアート)のスキルは大学や専門学校で身に着け、大学等で学べなかったスキルや知識は独学で学んでいく人が多いのではないかと思います。科学とアートの両方の力を身に着けるのには時間がかかりますので、粘り強くスキルアップする姿勢が必要かもしれません。

学びや情報交換の場

サイエンスイラストレーターやメディカルイラストレーターが集まる場は国内外にあります。このような場に参加し、互いに意見交換することも、自身の意識向上やスキルアップにつながります。

海外の職業団体

世界で最大級なのはメディカル分野ではAssociation of Medical Illustrators(AMI)とサイエンス分野ではGuild of Natural Science Illustrators(GNSI)だと思います。このような団体は、サイエンティフィックイラストレーションのプロモーションやイラストレーターの地位向上、情報共有などを行っています。ほかにもヨーロッパやオーストラリアなどに職業団体があります。

日本の関連団体

日本にも関連団体があります。最も歴史が古い関連団体としては 1958年に設立された日本理科美術協会があります。著作権を守ることを目的に立ち上げられていますが、 図鑑のイラストなど、学問的、科学的な説明を目指すイラストを描くイラストレーターたちを中心に集まり、 絵画展などを開いています。

また、サイエンスイラストとも関わりの深い植物画(あるいはボタニカルアート)は人気が高い分野です。 ボタニカル・アートとは、大場秀章氏の定義によると、植物学の発展を目指して描かれた、 科学的な正確さと芸術性を備えた植物のイラストレーションのことを指します。 その美しさや園芸ブームとも相まって、(学術目的というよりかは) 趣味や芸術として楽しむ人が国内に数多くいます。 日本植物画倶楽部や日本園芸協会のボタニカルアーティストの会といった団体、 あるいは国立科学博物館が開催する植物画コンクールや日本園芸協会が主催する公募型の「JGSボタニカルアート展」など、 比較的気軽に参加できる企画もあります。

動物の分野では、戦後に科学雑誌や図鑑ブームがあった影響もあり、科学的な正確さを配慮した動物画や生態画を描くアーティストが比較的多く存在して います。たとえば日本ワイルドライフアート協会は、(必ずしも学術目的とは限らないものの)野生生物を題材とした絵を描く画家が集まり、1995年以降、 作品展を行っています。

また、 2010年に筑波大学に設立された日本サイエンスビジュアリゼーション研究会は、 科学者・研究者とデザイナー・アーティストの交流の場を作り、情報交換と共同作業構築を行うことを目的に設立されており、伝統的なサイエンスイラストだけでなく、概念図的なイラストを描くサイエンスイラストレーターも多数登録しています。

2016年に設立された日本メディカルイラストレーション学会はメディカルイラストレーションの発展と普及、メディカルイラストレーターの養成を目指した学会です。医学・医療専門ですが、多くのメディカルイラストレーターが参加しています。

さらに2022年には一般社団法人生命科学ビジュアルコミュニケーション協会も設立されています。医学や生命科学に関わるイラストやデザインなどの講習会といった企画などを行うことが目的の団体です。

サイエンスイラストレーターのなかにはグループを組んで展示やイベントに出展するといった活動をされている方も多くいらっしゃいます。サイエンスイラストレーターになりたい、あるいはスキルアップしたいという場合は、日本では学びの場は少ないですが、情報交換やスキルアップのために学協会の活動に参加したり、同志をみつけてグループ活動に参加するのも良いかもしれません。

最後に

サイエンスイラストレーターは、スキルや知識を身に着けるのに時間がかかるうえ、制作依頼が安定してもらえるとは限りません。また、日本は教育コースが少ないため、「これをすればプロになれる」といったレールもありません。このため、(一般的なイラスト業界同様、あるいはそれ以上に)稼げるプロとして生きていくのは大変な世界です。現在日本で活躍されているサイエンスイラストレーターは、描く対象(例えば鳥や海生生物、宇宙など)や描く行為に強い熱意と執念を持っている方が多いように思います。

プロになってみたいと思っている方は、まずは仕事をとして成立させるのが厳しい世界であることはしっかりと認識するようにしてください。そのうえで、スキルアップや発信に取り組んだり、プロの方に実際どんな仕事なのか話を聞きながら、自分にできることを探っていくことになると思います。