日本の生物学・生命科学分野におけるサイエンスイラストとそれを描く人々の歴史
サイエンスイラストは少なくとも印刷技術が確立・普及し、西洋近代科学が成立したと言われている16~17世紀には利用されていました。近代科学初期では解剖図を掲載したヴェサリウスの『人体の構造に関する七章 』(通称「ファブリカ」1543年)や植物図鑑の原型となったフックスの『植物誌』(1542年)が有名です。
このように、科学の始まりとともに歴史を持つサイエンスイラストですが、日本での展開を見てみると、本格的には明治期から導入され、日本人によって描かれるようになりました。
ここでは日本の生物学・生命科学分野を中心としたサイエンスイラストの歴史をご紹介します。
※世界の様々な分野のサイエンスイラストの歴史は今後ご紹介できるよう努めます。
江戸時代:庶民にまで広がった博物文化と博物画
日本の生物学分野のイラストは、植物図や博物図として18世紀頃に登場しました。ただし、ここでいう生物学は西洋で発展した生物学ではなく、17世紀に中国から伝来した薬物に関する学問、本草学がルーツになっています。
本草学では、薬として様々な植物や動物、鉱物を集め、記録や分類をします。それが日本で普及するなかで、人々は次第に楽しみのために珍しいモノをコレクションするようになっていきました。大名や武士から商人、農民まで様々な立場の人が、珍しい生物などの博物学的なコレクションを行い、それらのコレクションを、自分で、あるいは絵師に依頼して博物図として描くようになりました。
博物図は対象を正確に記録するという点では他の芸術的な絵画とは異なるものでした。ただ、描く際の画法や画材は当時の海外と共通していました。このため、江戸期らしい、美しくて迫力ある博物図が多数制作されました。

作:増山雪斎(1754-1819)
出典:東京国立博物館(研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/より)
※冊子以外部分(カラースケールなど)はトリミングのうえ掲載
明治時代~戦中:西洋近代科学の導入と画工が描く標本画
19世紀末に明治に入ると、明治政府は積極的に西洋近代科学の導入を行いました。東京大学(名前は何度か変更されます)の理学部に動物学と植物学教室が置かれると、日本の生物学の中心になりました。ここでは海外の研究者、あるいは海外に留学した経験のある日本人の研究者が教員となり、西洋の生物学を導入しました。一方で、江戸時代から続く博物学は、学術の中心地には導入されませんでした。
明治時代には、日本の生物学では分類学が活発に研究されていたため、分類学的な特徴を示す標本画としてのサイエンスイラストが必要とされました。そのようなサイエンスイラストを描く人として、研究者や研究室、植物園、博物館などで画工(イラストレーター)が雇用されました。画工は西洋の技法を取り入れながら、動植物などのサイエンスイラストを描きました。
例えば植物学者として有名な牧野富太郎(1862-1957)は、数多くの日本の植物を研究しました。牧野は西洋の植物書からデッサンを習得して自身も植物画を描く一方、山田壽雄(1882-1941)といった画工も雇用して、描き方を指南しながら多くの植物画を描かせました。ほかにも、鳥類学者の松平頼孝のもとで鳥類を描いていた小林重三(1887-1975)や国立科学博物館で画工となった洋画家、平木政次(1859-1943)などがいます。

作:平木政次 (1859~1943)
戦後~90年代:出版業界でのサイエンスイラストの発展
第二次世界大戦が終わると、研究室ではなく出版業界で、多くのイラストレーターが活躍するようになります。特に教育分野では、GHQの統治のもとで導入されたアメリカ式の問題解決型学習に対応するため、多くの学習図鑑や児童向けの科学書が出版されました。また、言論の自由の保障などを背景に多くの雑誌が創刊され、そのなかで科学雑誌もブームに乗っていきます。このような出版業界における理科・科学分野の活性化のなかで、図鑑や科学本、教科書などの出版物にイラストを描くサイエンスイラストレーターが登場します。
例えば1958年には32名イラストレーターが、アーティストの著作権保護を目的として「日本理科美術協会」を設立しました。その後も動物画や植物画を描く人たちが集まってグループや協会を作り、グループ展なども行われるようになりました。この時期のイラストレーターとしては、牧野四子吉や清水勝、薮内正幸、木村しゅうじなどがいます。
また、生物学の学術分野では生態学が発展し、環境問題や生物多様性への意識も高まるなかで、標本画のような静的なイラストだけではなく、生息環境や生物の動きなども伝える生態画も必要とされるようになっていきます。生物学的な知識を身に着けたイラストレーターらは、いきものをテーマに科学絵本なども作成し、いきもの知識の普及を担いました。
73年には自然史を扱った平凡社の雑誌『アニマ』も創刊され、80年代前後は、出版業界で科学的に正しい生物画を描くイラストのニーズが最も高まった時期ではないかと思います。

作:木村しゅうじ(1930~2021) ※著作権者に許諾を得て掲載
90年代~:新たな科学とメディアの時代
1990年代も後半以降になっていくと、出版業界は不況に陥ります。21世紀にかけて多くの科学雑誌が廃刊に追い込まれました。また、写真技術が高まると、写真の方がコストが低いという理由で、図鑑などにおいてもイラストではなく写真が利用されるようになりました。動植物画を中心にプロが描いていた出版業界のサイエンスイラストは、90年代までと比べて縮小します。
一方、生物分野の学術世界では20世紀後半以降分子・細胞レベルの研究が発展し、広大な研究領域に成長します。目では観察できず画像でも把握しにくい小さな世界を議論するために、分子や細胞とその挙動を示すモデルや概念図的なイラストが多くつくられるようになります。さらに、医学分野と生命科学分野の一部が合流し、医学・医療分野でも分子・細胞レベルのイラストがプロや研究者によって描かれるようになりました。
(海外の話になりますが、もともと解剖学的なイラストに基礎を置いていたメディカルイラスト業界は、高度な画像が撮影できる時代に入ってニーズが低下していたところを、この分子・細胞レベルの図と3DCG・アニメーションというという新たな技術へのニーズにより、再び活性化していったと聞いています)

作:Tomo Narashima ※著作権者に許諾を得て掲載
90年代以降になると、PCとインターネットが普及し、誰もがイラストをすぐに見ることができるようになります。インターネット上ではSNSの登場により大量の情報が氾濫し、情報を見てもらうための競争が生じました。そのなかで目を引く力のあるビジュアル(イラストや画像、動画など)のニーズが高まります。この動向は世界の学術界にも広がりました。学術分野では2000年代以降学術ジャーナルの多くが電子化していきましたが、読者獲得のためにビジュアル面を強化するジャーナルも多く、グラフィカルアブストラクトやアニメーション、3DCGを掲載するようになりました。理工系では、日本の研究者であっても論文は海外ジャーナルに掲載することが標準的であるため、この世界的な動向に合わせ、日本の研究者の多くもグラフィカルアブストラクトなどを制作するようになりました。
さらに、PC普及により図を作る技術が低コスト化していくなかで、プロだけでなく、様々な分野の研究者が日常的に論文や申請書、プレゼンに掲載するイラストや図を作るようになりました。情報発信の方法もウェブサイトやSNSなど多様になったため、個人・組織レベルでも発信の際にサイエンスイラストが利用されるようになります。図が必要な場面も、学術的なコミュニケーションだけでなく異分野研究者や非専門家向けなど幅広くなりました。
研究者が制作するのは伝統的な標本図のような観察して描く図とは異なり、シンプルで概念的で、理解を促すことを意図した図であることが多くなっています。一般向けや子供向けの場合には、プロなどに制作を依頼して漫画的な表現も取り入れらるようになっています。

作:ARIGA Kana
このような時代の変化の中で、制作・掲載ともにデジタルで完結するサイエンスイラストが増え、それを描くプロのサイエンスイラストレーターも増えてきている印象です。観察力やデッサン力に加え、ターゲットに合わせて「伝えたいこと」を整理し、それを比較的短時間で効果的にビジュアライズする力が求められるようになっているのではないかと思います。
2020年代:AI時代におけるサイエンスイラスト
2020年代には生成AIが広がりました。執筆時点ではまだ、AIによって正確で完成されたサイエンスイラストを簡単に作成するのが難しいのですが、簡単な素材を作ったり、(大雑把な)レイアウト(図案)ならば提案してくれるようになりました。AIに丸投げするのは難しくても、制作の強力な補助ツールになりつつあります。
AIが一般化していけば、画力がない人でも綺麗なイラストを素早く作成できるようになります。しかし本当に必要とされているのは、単に「綺麗なイラスト」や「素早く完成したイラスト」ではなく、「科学的な情報を効果的に相手に伝えるイラスト」です。AI時代には、「誰にどのような影響を与えるために、どんな情報をどんなかたちでビジュアライズするのか」というしっかりとした戦略をたてる力が求められるようになっています。
このようにサイエンスイラストの世界は時代とともに変化してきました。現代は変化の激しい時代です。これからどう変化していくのか、今後も注目してもらえればと思います。
主な参考文献
- 有賀雅奈(2025)「イラストレーション×科学がもたらすもの」(全文日本語論文版)『電子情報通信学会誌』108(1)、pp.9-14.
- Kana ARIGA and Manabu Tashiro(2016)”A History of Biological Illustrators in Japan,” Journal of Natural Science Illustration, 48(3) pp.3-8.
- 有賀雅奈(2015)「日本のサイエンス/メディカル分野のイラストレーターによる団体活動の動向調査」『科学技術コミュニケーション』17(17)、pp.22-34.
- 今橋理子(2017)『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』講談社.
- 藏田愛子(2024)『画工の時代:植物・動物・考古を描く』東京大学出版会.
- 国立科学博物館(編)(2001)『日本の博物図譜:十九世紀から現代まで』東海大学出版会
世界のサイエンスイラストについて知りたい方へのおススメ日本語文献
- 【植物学】
- ウィルフリッド・ブラント(著)、森村謙一(訳)(2014)『植物図譜の歴史―ボタニカル・アート芸術と科学の出会い』八坂書房.
- 【博物学】
- 荒俣宏(1994)『図鑑の博物誌 荒俣宏コレクション 増補版』集英社.
- ピーター・ダンス(著)、奥本大三郎(訳)(2014)『博物誌: 世界を写すイメ-ジの歴史』東洋書林.
- 【人体・解剖】
- ベンジャミン・リフキン、ジュディス・フォルゲンバーグ、マイケル・J・アッカーマン(著)、松井貴子(訳)(2007)『人体解剖図―人体の謎を探る500年史』二見書房.
- 坂井建雄(2014)『図説人体イメージの変遷:西洋と日本 古代ギリシャから現代』岩波書店.
- 【科学一般】
- 橋本毅彦(2016)『図説科学史入門』ちくま書房.
